マウンティングが気になり出すのは自信がついたから?
私も今年の半ばくらいから急にマウンティングされるのが気になるようになりました。
ちょうどその頃って、色々な工夫の結果として仕事のパフォーマンスが上がったり、私生活もうまく行っていた頃です。自信がついてきたのだと思います。
そうなった段でマウンテングをされると、とても気になるようになりました。正直昔は気づかなかったことまで気になるようになったように思います。
お礼を言えない人
マウンティング性向の強い人は、お礼を言うのも苦手です。
相手のポジションを上げてしまうのが潜在意識的に気になってしまうのだと思います。
謝れない人
マウンティング性向が強い人は、他人に謝るのが苦手です。それによって、自分のポジションを下げてしまいかねないからです。
そうして、他人との関係を修復不可能なものにしていってしまうのかもしれないですね。
他人の指摘に乗っかってプチぼっこ
マウンティング性向が強い人は、他の人に指摘が入っている時に、ついでとばかりにネガティブフィードバックをします。攻撃者が複数いた方が、ターゲットを心理的に下げるのが効率が良いからだと思います。
別件で、特に人格否定で指摘をやり返す
何か指摘をした後に、必ず別件で指摘を返してくる人が結構います。
私の場合は、とても身近にそういう人が居ていつも困っています。大抵の場合は人格を否定するような表現を使われます。
プライドが高い人やマウンティング性向が強い人はよほど自分が納得して聞ける場面でなければ、指摘を聞いてそのまますんなり受け入れてくれることは無いです。
別の面で他人の劣る面を指摘して、プライドや関係性を取り戻そうとします。
最近は減りましたが、3年前とかは毎回だったので、指摘するのが嫌になっていました。というか嫌になって指摘が減っているだけかもしれないですが。。
ただ、それはなんでそれを今いったのか、くらいにしか返せないかなー。
日々ちゃんと生きて、出来るだけ弱みをさらさないことでしょうか。
馬鹿にすることとマウンティングと
馬鹿にすることとマウンティングはどのように違うのでしょうか。
私の考えではほとんど同じですね。ただ、表現の汚さの度合い、表現の意図において違いが見られます。
- 馬鹿にする
言葉、表現が汚い、相手を貶めるのが主 - マウンティング
言葉、表現はあまり汚くない、発言内容としては大人
とはいえ、本音に持っている意図は一緒ですし、それを発言した後に得られる感情も一緒だと思います。
マウンティング性向
マウンティングをしたがる人、というのがいます。
私はそういった傾向を「マウンティング性向」と呼んでいます。
サイコパスのような人格障害の領域までに過剰な人もたまに居ますが、多くの人の場合は無意識にそういった行動をたくさんとってしまう人、という程度です。
マウンティング性向が強い人が、なぜマウンティング行動をたくさんとってしまうかと言うと、理由は単純でそうしていないと気持ち悪いからです。自分にとって不自然なので気持ちが悪い。
常にマウンティングしている方が自然な自意識がなぜ醸成されるのか、というと、小学生の頃の生活によるものだと思います。例えば、足が速くて頭も良くて男前な小学生の男の子が居たとします。彼は幼い頃、自分が上であるような状況にずっとさらされる事になります。すると、その状況が自然であってという自意識が身につく。その結果大人になって社会に出ても、自分の方が上である、状況が自然に感じてしまうようになり、マウンティング性向が強くなります。
他にも家族の関係もあると考えています。下の兄弟が多い人ほどマウンティング性向は強くなるでしょう。
私の考えでは程度の違いはあれ、マウンティング性向って誰しも持っていると思います。でも、それが人生を歩んでいくなかで削られていく。その中で、削られないで残っている人が、社会に出てもいまだにマウンティング性向が強いまま残るのだと思います。
しかし子供の頃の能力の高さが大人になってからもある程度反映されるかと言うとそうではありません。足の速さなど大人になったらほとんど関係無いですし、小さい頃勉強が出来たからと言って仕事が出来るとは限りません。すると周りの人にとって困ってしまう状況が生まれてきそうですね。